NSXとセルシオが世界に挑戦したあの頃
この記事のもくじ
ホンダはスーパーカーとして2代目NSXを復活させました。
日本が誇るプレミアムブランドと言う存在感があるのも、ホンダのフラッグシップモデルですから当然ですよね。
それでも初代NSXは紆余曲折あって誕生したモデルでした。
そんなNSXをここで振り返った見たいと思います。
ホンダNSXとはどのような車なのでしょうか?
ホンダの初代NSXは、ポルシェ911やフェラーリと肩を並べる日本車初のスーパースポーツというイメージですが、個人的には本来はポルシェやフェラーリの様な企画・設計から純粋なスーパースポーツとは異なるものだと思います。
大衆車から造り出された量産スポーツカーだったというのが本当のところだと思います。
これは当時トヨタにせよホンダにせよ、まだまだ大衆車メーカーからの脱却は出来ていなくトヨタが世界最高峰の高級セダンであるメルセデスベンツのSクラスに安価で高品質というのを武器にセルシオで勝負を挑んだのと同じく、ホンダも世界最高のスーパースポーツカーに安価で高品質という武器で挑戦したのがNSXだったんだと思います。
オールアルミボディーや最大排気量のVTECエンジンは技術で根本的なものを感じさせないための技術であり、F1でのフェラーリを打ち負かすホンダエンジンがその演出をしていたと言えます。
しかしNSXの根幹であるパワートレインは、レジェンドのV6エンジンとFFのアコードのシャーシ―を反転使うという大衆車がミッドシップ車を造る典型的な手法が用いられています。これにより企画設計からみても最高峰のスーパースポーツカーと呼ぶには少し疑問のある車となるわけです。
この手法によるミッドシップ車の歴史を先ずは少し見てみましょう。
フィアット X1/9
イタリアのフィアットがスポーツカーやスーパーカーのウリとなるミッドシップレイアウトを大衆車と共通のパーツを使うことで大量生産車とすることに成功したモデルです。
このX1/9はフィアット128と共有するパーツが多く使い価格を安価に抑え、工場の生産ラインも通常の大衆車と同じ生産方式で造られました。
ハッキリ言って実験的な面があったのも事実なのですが、FFのシャーシ―を反転すればスポーツカーの構造であるミッドシップを造れるということを世に知らしめた車となりました。
走っている動画を見ると今でも美しいですね。
ゼネラルモーターズ ポンティアック・フィエロ
そして1980年代になり、アメリカから初となるミッドシップスポーツカーがゼネラルモーターズ(GM)から発売になります。それが、年間販売台数13万台というヒットを飛ばした1984年に登場したポンティアック・フィエロです。
エンジン&トランスアクスルといったパワーコンポーネンツを含む多くの部分を乗用車と共通とすることで本格的構造を持つミッドシップレイアウトにも拘らず1万ドル以下の車両販売価格を実現します。
特にそれまではアメリカでは2シーターは成功しないと言われていたのですが、量産性の低価格のミッドシップであればアメリカでもどこでも販売台数が見込めると各メーカーは考えました。
そしてこのフィエロが切っ掛けとなり同じ手法を用いたミッドシップカーとしてトヨタはMR2を販売し、ホンダは2Lの軽量マシーンのNS-Xを企画します。
しかしアメリカに起きたミッドシップブームは予想外に早く終焉してしまいます。1987年の販売台数はわずか4万台にまで落ち込んでしまいます。アメリカでミッドシップスポーツのブームを起こしたフィエロでさえも5年の販売期間のみで終了となってしまいます。
トヨタ MR2
フィエロとほぼ同時期に造られた日本の自動車メーカー初の市販ミッドシップカーです。フィエロと同じようにフィアットX1/9を参考として造られた車で、パワーコンポーネンツはFFのカローラを流用することで安価に量産性を高めた車です。
初代 AW11型が不運だったのは、販売時期の1984年-1989年にはトヨタの名車AE86という最後のFRレビン・トレノと販売時期が重なってしまったことです。
(初代 MR2:AW11のCMです)
https://youtu.be/MLKsGT3Q7g4
本来であれば同じエンジンを積み2シーターミッドシップというよりスーパースポーツに近い車であったにも拘らず歴史的名車にそのスポットライトを奪われてしまいあまり注目されませんでした。トヨタは自社のAE86により成功モデルとならなかったAW11の反省を踏まえて車のクラスアップを行い2代目は2Lのターボエンジンを積んできます。
しかしこれもパワートレインに関してはセリカと同じパーツを多く使うことで完成させた量産型の安価なミッドシップでした。そのためにエンジンもラリー参戦をしていたセリカと同じエンジンの2L直列4気筒である3SーGTEを積むことで戦略的な低価格での販売となりました。
(2代目MR2:SW20のCMです)
ただしこのSW20がこの後発売となるホンダのNSXに大きな影響をもたらしたのは事実で、ホンダはNSXの僅か3分の1以下のこのミッドシップスポーツカーにすべての面で劣ることは許されない十字架を背負わされることとなります。
フェラーリがライバル?ホンダのNSX
良く初代NSXを語る際にはライバルはフェラーリとして開発されたというように話されますが、この話は半分は半分は本当の事でしょうが、半分は嘘とも言えます。
フェラーリは今でも当時でも純粋なスポーツカーメーカーであり企画設計から純粋に走りのためのコンポーネンツを使用している車です。その実際の性能や信頼性に関しては置いておくとしても、エンジンが一級品であることとその設計思想は大衆車とは異なります。
しかしNSXは、フィエロが開拓したアメリカマーケットを奪取すべく企画された安価な量産ミッドシップカーであり、マーケティングの問題や営業・販売サイドの要望によりF1のイメージをそのまま引き継げるフラッグシップカーへと昇格させたスーパースポーツカーです。
現にパワーコンポーネンツは市販車のFFのモノを反転して使用しエンジンはレジェンドの大衆エンジンを当時の最新技術VTEC化することで積まれたものです。そのためNSXの心から売りに出来る部分は、量産車として世界初となるオールアルミモノコックボディを採用したことでしょう。
確かに官能的なホンダミュージックを奏でるオールアルミ製のV6エンジンの吹け上りは素晴らしいものはありましたが、NSXの根幹はFFのシャーシーを反転させて造られた安価な大量生産用のミッドシップという企画の延長上にあることは変わらない車といえました。
(初代 NSXのCMです)
そういう意味で純粋に企画・設計されたスペシャルマシーンであるフェラーリとは辿り着いた先が近かったとしても本来は全く異なる大衆車の高級化と高技術で造り上げた車だったと言えるものだったのです。とは言え誤解されないように付け加えておけば思想は崇高でもフェラーリはエンジンは超級ですが、車全体の工業製品としての完成度はポルシェはもちろんNSXの方が上だと言えます。
特にただの大衆エンジンでしかなかったはずのV6の3.5LエンジンはDOHC化と共にV-TEC技術により可変バルブ化をおこないNAながら当時のリミット出力である280馬力まで到達しているのは流石エンジン屋のホンダと言えます。
私の個人的な意見で言えば日本の自動車メーカーでエンジンの完成度が高いのは間違いなくホンダだと思います。特に小排気量のエンジンは素晴らしくそしてスペシャルなエンジンだけではなく基本的に全てのエンジンでも高い完成度を感じることが出来るのが凄いことだと思います。ホンダが作成した販売用の促進ビデオです。
ホンダ初代NSXのライバル
初代NSXのライバルだったモデルも見てみましょう。
主なモデルは、テーマごとの3台になります。
ただしどのモデルも全く同じマーケットで戦うモデルではないんですよね。それ自体が初代NSXの立ち位置を表していると言えます。
フェラーリ348
最もライバルと呼ぶのに相応しいモデルとも言えますが、それは走行性能とデザインそしてF1でのライバル関係という意味になります。
ただ大きく乖離があるのは、プレミアムブランドのスポーツカーのフェラーリに対してホンダは大衆車メーカーでしかなかった点と車両価格は348の半額程度だったことです。
ある意味でこの性能がこの価格で実現できるという衝撃が世界中にインパクトを残しました。
ニッサンGT-R:R32
ニッサンが開発した世界最速の量産車として開発されたモデルがスカイラインGT-Rでした。
同世代のモデルとして最強のセダンとしてのGT-Rと日本車最高峰のスポーツカーのNSXは比較の対象でした。
車両価格がの半額近いGT-Rの方が、サーキットの速さでは同じ280PSとは言ってもターボエンジンの為に圧勝でした。
トヨタ 初代レクサス(セルシオ)
ホンダが大衆メーカーとして世界のプレミアムブランドにスポーツカーのジャンルで挑戦したのに対して、トヨタが同時期に世界のプレミアムブランドに挑んだジャンルが高級セダンでした。
ベンツ・BNWに対してレクサスで大衆車メーカーを返上する挑戦を同じ時期にしていた貴重なモデルです。
ホンダNSXは、日本で最初のスーパーカーだったのかのまとめ
ホンダのフラッグシップのNSXは、今でこそ名の通ったスーパーカーとして世界で認知されていますが、そこにたどり着くには簡単ではなかったんです。
ホンダがフェラーリやポルシェのような純粋なスポーツメーカーではないからこその悩みがそこには存在しているんですよね。
それでも同じ土俵で勝負していますし、今はF1にも挑戦を続けています。
これからも初代NSXの時の様に新たな挑戦を続ける企業であって貰いたいです。